走と歩

社会人をいちどリタイアしてまた始めたスロースターターの雑記

癒える傷のうちに

この土日で終わりにしよう、って決めた。

大好きな人に会うこと。

この気持ちが癒えない傷になる前に、私が終わらたい。一緒にいて心地いいからこそ、なんとなく終わらせることなんてできない。ちゃんと終わらせるタイミングを自分で決めないといけない。

 

その人は、趣味が合って、一緒にいても疲れない人。聞き上手で、相手のことをよく見てる人。自由に振る舞うことを忘れない人。自然体なのに相手を気遣える人。そりゃモテるよ。

 

でも、その人には恋人がいる。遠距離だけどよく会いに行ってて、待ち受けだって恋人の写真。恋人の話を聞くたびに、大好きなのが伝わってきて、同時に、自分がすごく惨めになる。この人に私は絶対に選んでもらえない、なのにしがみついて、何してるんだろうって。

 

 

終わりって、具体的に何をどうするのかはまだ決めていない。単に私から連絡を取らないのか、SNSも全部切るのか、気持ちを伝えて振ってもらうのか。

その人との時間を、私だけこっそり楽しんで、会ってないときにはしんどくなって何も手につかなくなる、そんな現状のままじゃ、泣くことすらできない。前に進みたい。

 

その人との最後は、皮肉かな、だいぶ前から一緒に行こうって話してた、お互いに好きなバンドのライブ。ライブは楽しめると思うけど、別れ際はなんて言おう。決まらないな。

ちゃんと終われますように。

 

【それでも進みたいなら、ここでやれることからやらなくちゃな。】

楽しいことがあると

今週末は楽しいことがたくさんあった。主に人と話すことだったけど。

楽しいな、って気持ちで胸が満たされてて、お喋りは終わったのに、まだ胸がわくわくしている。私には、こんなにたくさんの、素敵な友達がいたんだな、って、その事実を噛み締めている。

 

早く寝ないといけないから、色々考えたことはふんわりしたまま寝床に入ることにする。

やるべきことだけ、しっかりやってこう。

他人の考えに触れるということ

エッセイ本を読むようになったのは

ここ1年くらいで、昔より本を読むようになった。読むジャンルも少し変わったように思う。
昔は、恩田陸が好きで、恩田陸のまだ読んでない作品を気が向いたときに文庫で購入して読むという読書がほとんどだった。たまに気になったフィクションの小説を読んだり、レシピ本を買ったりはしていたけど、年に数回程度。本屋に行くのは好きだったけど、見て回るのは料理本とインテリア、ファッション誌のコーナーが主だった。
それがここ最近、他の作家の小説を読んでみようと手を出してみたり、いままでほとんど読んだことのなかった、エッセイというジャンルに手を出し始めた。
これまでだったら、その人の個人的なことが書かれたエッセイなんて全く興味がなかった。本は文学作品であり、文学作品は悉く空想の産物であるべきだ、なんて考えていた。それがだ。働くようになってから、そして自力で生活をするようになってから、他人が生き方や働き方について語るのを読むのが、妙に楽しくなった。知らない人の、知らない考えに触れるのがこんなに興味深いものだとは、思っていなかった。

他人の考えに触れると、自分が日頃から感じていたことを代弁してくれて嬉しくなることもあれば、そんな考えや選択肢があったのかと驚くこともあれば、こんなこと考えるなんてこの人はなんて思いやりに欠けるんだと憤ることもある。そういう感情の動きすらも興味深い。他人の考えに触れることで、自分はこんな考えをする人だったのか、なんて気付くこともある。エッセイ本を読むとき、その人の考えに触れ、同時に自分の考えを見つめている。そして1冊を読み終わったときには、この本から受け取った感情の動きや自分への気付きを大切にしたい、今の思いをどこかに留めておきたい、と思うようになった。あるいはこれは、そのエッセイ本の真似事なのかもしれない。
他人を知ることは自分を知ることである、なんだか陳腐な言葉だけど、結構本当のことだと思う。

他人と関わることが苦手な私なんだけれど、他人が喜ぶような振る舞いはとうていできない私なんだけれど。興味深いな、っていう理由で、目の前の人のことを知ろうとするって、私がエッセイ本を読みたいなって思うのと似たようなものなんだろうなと思う。人と関わるのって、案外そんな感じにシンプルな動機でいいのかもな。
せっかく一人で飲み歩くのが好きなんだから、飲みに出た先で出会った人の考えに触れるのも楽しそうだ。そのためには、他人のポリシーやスタンスを引き出せる質問をいくつか持っておかないとな。これはまた今度考えてみよう。

ふんわり思ったことを、ふんわりまとめる

さて、ここまで、ここ数日でふわっと頭に浮かんだことを、浮かんだままに文章にしてみた。
読んでみると、確かにそれっぽいことを言っているのだけれど、なんとも抽象的な話ばかりのような気もする。詩人か?ってくらい。(これは詩人に対する完全なる偏見なわけだが)
仕事で、今、私の書く文章がなんともふわっとしていて具体性に欠けるという話になっている。その通りだと思う。私の特技は、それっぽい言葉をそれっぽくまとめることなのかもしれない。ただ、仕事はそうもいかない。成果は、具体的な行動の中でしか生まれない。
(昨日読んだ仕事エッセイの中に、物理の実験の話があったから、それを引用したいんだけど、もう忘れちゃったから、また読もうと思う。)
このことについては、もうちょっと時間をかけて、それこそ他人と対話をして、どうすればいいのかを考えないといけないと思う(これも抽象化して逃げてるのかもしれない)。具体的な根拠もセットで考えたことを話せるようになれば、多少は改善されるかな?

今日したこと

5:50 起床、しばらく布団でごろごろ
6:15 布団を出る。朝食とお弁当作り。今日は生姜焼きサンド。
7:10 朝食食べる
7:30 着替え、化粧、身支度
7:45 出発
7:50 定期を忘れていったん帰る、今度こそ出勤
17:40 退勤、夕飯。今日は帰りがけに定食屋さんの冷やし中華
18:20 図書館、読書
      「彼女は頭が悪いので」姫野カオルコ
(読んでてきつくなる。特に男目線の話、ちょっと作者の悪意も含まれてるよね?ってくらい、男性性の無垢かつ嫌なところが描写されてる。あまりに鈍感で悪意に無頓着という意味では、女性側の描き方もちょっと露悪的なのかもしれん。なんにせよ、フェミ(決して軽蔑の意味を込めない)な作品だったな)
      「人生、このままでいいの?最高の未来をつくる11の質問」河田真誠
(当たり前で、ある意味使い古されたことばかり書いてあったけど、良い質問が良い人生を作るっていう考えは面白かった。)
20:45 スーパーで買い物
21:30 帰宅
22:00 お風呂
23:00 だらだら
23:50 ごみ捨ての用意
0:00  ブログ

「時間がかかった」「うまくいかない」ことをどうやって評価しよう

「思うように書けない」って結局私にとって

午後から仕事のレポートを書いた。今期の振り返り。
なかなかうまく書けずに困った。思っていることを文章にしようとするんだけど、途中でふと別のことが思い浮かんで思考が途切れたり、頭がオーバーヒートして詳細で具体的なことはもやがかかったように見えなくなったり。

うまくいかない時を経て、活動量や思考の量が増えている時に毎度思うことなんだけど、私はトライアンドエラーの回数が圧倒的に少ないんだと思う。
計画を立てるのが昔から好きなんだけど、実行はずっと苦手だった。計画を立てているときは、それを達成した自分を思い描いてわくわくしているのに、いざ実行すると、思い描いた自分とかけ離れた現実にがっくりしてしまう。計画なんだから、当然、計画通りにいく部分と、そうでない部分とが出てくる。計画通りにいかなかった部分は、「できなかった」ことだから、当然のようにマイナス評価。計画を立てた後の振り返りは、自分がいかに出来ない奴かを確認する作業だと思っていた。苦しくて苦しくて仕方なかった。
計画で想定している自分の行動って、一番スマートで最短ルートのもの。だけど、実際はそれ以上の工数や思考プロセスが必要だったりすることがほとんど。そこの、計画段階では意識できていない部分が出てきたことに、これまではその時点でがっくりきてしまって、計画倒れになることも少なくなかった。で、また「できなかった」の自己嫌悪。工数を計算に入れるっていう発想がそもそもなかったから、自分が1工程にどのくらいの時間をかけるのか、特に物書きタスクでは、まったく振り返らないままになっていた。
今日レポートを書いていて、思いついた内容を細切れでもノートに書きだすのに2時間くらいかかった。今の私は、このくらいの時間が必要だから、実際にレポートが完成形になるまでに、もう2時間くらい必要だと思う。こうやって、ひとつのものを作るのに、どれくらいの時間がかかるのか、計画と実行の振り返りは、自分が1工程に掛ける時間を知るために必要だったんだと、今日なんとなく気がついた。「できなかった」ところは、自分を責めるための材料にもなりうるけど、自分の限界を測るバロメーターでもある。目標に達していないという意味に変わりはないから、「コップ半分の水をどうとらえるか」みたいな、ネガポジの切り替えをしたいわけではないけれど、評価をどう活かすかを変えることはできるな、と。私なりにやって生まれた結果は、どんなにみっともなくても、それが今現在の私なんだって、シンプルに受け止める姿勢って、以外とできていなかったんだな、と。この文章だって、超絶ドへたくそだけど、これが今現在の私が(構成をうんうん考えずに)書いた成果物であって、それ以上でも以下でもない。これが私の実力。

たぶんこれから、仕事でうまくいかないなあ、とか、プライベートでこんなはずじゃなかったのに、とか、そういうのがたくさん出てくると思う。そういう時に、結果を見て嘆くのではなくて、「これが現状、これが実力」ってシンプルに受け止めるようにしたいな。

今日読んだ本がとても面白くて、いろんなことが思い浮かんだんだけど、半分以上忘れてしまった。そういう思いついたことを素早く言語化してメモして、読書感想文でもすぐに書ければいいんだけど、まだまだ、なかなかそこの思考の統合はできていない。思ったことと、読書感想文と、分けて書かないとまだまだ。ゆくゆくは、その日思い浮かんだことを上手にまとめ上げて、1時間くらいで1つのブログ記事にまとめられるようになりたいな。

あと、工数が把握できていても、今度はその多さに辟易して動き出せなくなることもあるけど、それはまだ今度考えることにする。
まとまらないから、今度また推敲して、もう一度私の考えを記事にまとめなおそう。こんなまとめ方しかできないのも、まだまだ、今の実力が及んでいないんだな。上手なエッセイはどうやって締めくくられているのか、そういえば意識したことなかったから、今度はそのあたりも磨いていきたいな。


今日一日

13:00 起床
13:30 洗濯、昼食づくり
14:00 昼食、片付け、選択干し
14:30 身支度
14:50 自宅出発 図書館へ
15:00 図書館
    本を読む(「生きるように働く」ナカムラケンタ)
    仕事のレポート(今期の振り返り)
20:45 図書館出発、スーパーで買い出し
21:30 帰宅
21:40 夕食 ほっともっとのり弁
22:00 お風呂を入れながら片付け、冷蔵庫の整理
22:15 お風呂
23:30 ブログ書く

0:15

今日なんもしてない。

正確には、自分が満足いく成果を何一つあげてない。

 

難しい!って思った瞬間から逃げ腰で打開策を考えようとしないのは悪い癖。できん、無理、しんどい、を心の中で繰り返すだけ。

 

前向きなことを無理に書くこともできるけど、思ってないことを言葉にしたり、思ってることを無理矢理ねじまげて言葉にしたりした時って、身体中の関節がムズムズして気持ち悪くなる。

だから、明日頑張るとか書かない。でも明日頑張らないといよいよヤバいよな。

 

もう一度、今やってる仕事の流れをいちから見直してみようかな。飛び飛びでやっても成果にはならない。

21:05

なーーーーーーーーんにもできなかった1日。在宅勤務ほんとにつらい。成果がどこにもない。

出勤しても、成果は大して変わらないんだけど、電車に乗って職場に行って、上司と話をするだけで、何か成果を得た気持ちになれる。「在宅シフトで浮き彫りになった、ただ会社にいるだけだった人」って、私みたいな人のことなんだろうな。

 

今日したことといえば、ご飯食べたことと洗濯したことくらい。仕事じゃなくて私生活じゃん。他の人たちは頑張ってるだろうになあ。