知ること、知ろうとして動くこと
昨日、松江の由緒ある神社に観光がてらお参りに行った。
御神籤を引いてみると、末吉で、なかなか厳しいことが沢山書いてあった。図星で心がチクチクする言葉ばかりで、神様は私のことしっかり見てるんだなって思った。
やり方を反省しろ、とか、根本を見直せってことが主だったんだけど、そのために気持ちを、スタンスをどう持つべきか、考えた。そのために、これまで感銘を受けた言葉を頭の中でさらってみた。
「知ることに貪欲になる」
これかな、と。
最近音楽を聴くことにまた傾倒しはじめたけれど、それに関してだって、聴いて気持ちいい、だけじゃなくて、その音楽に何が込められているのか、ルーツは何なのか、知ることが新しい何かを私の中に落としてくれる気がする。
好きなものを説得力を持って好きと言える語彙力を身につけるためにも。
試験勉強だって、ただ覚えるだけ、受かるためだけだと思ってるから気がす進まないのではないかと予想。新しいことを知って、それを組み合わせて、更に新しい境地を知ることが、喜びなんじゃないかと思ってみたり。それが仕事の役に立てば最高じゃない。簡単に言うと内発的動機づけなのかな。
じっとしてても、知ることができる量は限られている。
自分から動いて知ろうとしていこう。
それが机に向かうことだったり、人と会うことだったり、色んな形の行動として現れれば、今の満たされなさもきっと解消される。