走と歩

社会人をいちどリタイアしてまた始めたスロースターターの雑記

「時間がかかった」「うまくいかない」ことをどうやって評価しよう

「思うように書けない」って結局私にとって

午後から仕事のレポートを書いた。今期の振り返り。
なかなかうまく書けずに困った。思っていることを文章にしようとするんだけど、途中でふと別のことが思い浮かんで思考が途切れたり、頭がオーバーヒートして詳細で具体的なことはもやがかかったように見えなくなったり。

うまくいかない時を経て、活動量や思考の量が増えている時に毎度思うことなんだけど、私はトライアンドエラーの回数が圧倒的に少ないんだと思う。
計画を立てるのが昔から好きなんだけど、実行はずっと苦手だった。計画を立てているときは、それを達成した自分を思い描いてわくわくしているのに、いざ実行すると、思い描いた自分とかけ離れた現実にがっくりしてしまう。計画なんだから、当然、計画通りにいく部分と、そうでない部分とが出てくる。計画通りにいかなかった部分は、「できなかった」ことだから、当然のようにマイナス評価。計画を立てた後の振り返りは、自分がいかに出来ない奴かを確認する作業だと思っていた。苦しくて苦しくて仕方なかった。
計画で想定している自分の行動って、一番スマートで最短ルートのもの。だけど、実際はそれ以上の工数や思考プロセスが必要だったりすることがほとんど。そこの、計画段階では意識できていない部分が出てきたことに、これまではその時点でがっくりきてしまって、計画倒れになることも少なくなかった。で、また「できなかった」の自己嫌悪。工数を計算に入れるっていう発想がそもそもなかったから、自分が1工程にどのくらいの時間をかけるのか、特に物書きタスクでは、まったく振り返らないままになっていた。
今日レポートを書いていて、思いついた内容を細切れでもノートに書きだすのに2時間くらいかかった。今の私は、このくらいの時間が必要だから、実際にレポートが完成形になるまでに、もう2時間くらい必要だと思う。こうやって、ひとつのものを作るのに、どれくらいの時間がかかるのか、計画と実行の振り返りは、自分が1工程に掛ける時間を知るために必要だったんだと、今日なんとなく気がついた。「できなかった」ところは、自分を責めるための材料にもなりうるけど、自分の限界を測るバロメーターでもある。目標に達していないという意味に変わりはないから、「コップ半分の水をどうとらえるか」みたいな、ネガポジの切り替えをしたいわけではないけれど、評価をどう活かすかを変えることはできるな、と。私なりにやって生まれた結果は、どんなにみっともなくても、それが今現在の私なんだって、シンプルに受け止める姿勢って、以外とできていなかったんだな、と。この文章だって、超絶ドへたくそだけど、これが今現在の私が(構成をうんうん考えずに)書いた成果物であって、それ以上でも以下でもない。これが私の実力。

たぶんこれから、仕事でうまくいかないなあ、とか、プライベートでこんなはずじゃなかったのに、とか、そういうのがたくさん出てくると思う。そういう時に、結果を見て嘆くのではなくて、「これが現状、これが実力」ってシンプルに受け止めるようにしたいな。

今日読んだ本がとても面白くて、いろんなことが思い浮かんだんだけど、半分以上忘れてしまった。そういう思いついたことを素早く言語化してメモして、読書感想文でもすぐに書ければいいんだけど、まだまだ、なかなかそこの思考の統合はできていない。思ったことと、読書感想文と、分けて書かないとまだまだ。ゆくゆくは、その日思い浮かんだことを上手にまとめ上げて、1時間くらいで1つのブログ記事にまとめられるようになりたいな。

あと、工数が把握できていても、今度はその多さに辟易して動き出せなくなることもあるけど、それはまだ今度考えることにする。
まとまらないから、今度また推敲して、もう一度私の考えを記事にまとめなおそう。こんなまとめ方しかできないのも、まだまだ、今の実力が及んでいないんだな。上手なエッセイはどうやって締めくくられているのか、そういえば意識したことなかったから、今度はそのあたりも磨いていきたいな。


今日一日

13:00 起床
13:30 洗濯、昼食づくり
14:00 昼食、片付け、選択干し
14:30 身支度
14:50 自宅出発 図書館へ
15:00 図書館
    本を読む(「生きるように働く」ナカムラケンタ)
    仕事のレポート(今期の振り返り)
20:45 図書館出発、スーパーで買い出し
21:30 帰宅
21:40 夕食 ほっともっとのり弁
22:00 お風呂を入れながら片付け、冷蔵庫の整理
22:15 お風呂
23:30 ブログ書く