走と歩

社会人をいちどリタイアしてまた始めたスロースターターの雑記

「楽」と「やり易い」

よく、仕事で判断に迷ったとき「やり易い方を選びなよ」と言われる。

そのつもりで仕事をしてきたけど、どうもうまくいかない。それどころか、最近は、仕事相手に舐められているのが浮き彫りになっていている。

なんでだろう…と布団の中でよく考えると、「楽な方」と「やり易い方」は全く違うものだと気づいたから、ここに書き留めておく。

 

私がやっていた「楽な方」は、問題を問題として扱わないことも含めて、「自分が上から責められないやり方」だった。問題を問題として扱わなければ、仕事相手からの精神的なダメージも少なくてすむ。事なかれの精神と言ってもいい。

自分が精神的に楽であるかどうかが最優先で、仕事そのものの成果を残せるかどうかという視点が全く無かった。

 

対して「やり易い方法」は、ともすれば、精神的にはめちゃくちゃキツイ方法であることも往々にしてあるのだと思う。

「やり易い」とは、自分の力量の範囲内で成果が残せるかどうかという視点であって、辛い苦しい思いをしないかどうかという視点からは程遠いのだ。

 

さて、ここで私の性格を省みてみる、

私はとんでもなく面倒くさがり屋だ。風呂に入ったり、トイレに行くのでさえ面倒に思うことが度々(というかほぼ毎日)ある。

そんな私であるから、日々の生活から受験勉強、仕事に至るまで、何でも「楽な方」を選んでやってきた節がある。

もちろん多少の努力無くして成功はあり得ないと、童話や受験体験記などから学んできてはいる。だから、多少の努力はする。多少の。

 

けれど、仕事にせよ勉強にせよ人間関係にせよ、私が「つまらない人間」だと感じる時、そこには「楽な方」ばかりを選んでいる自分へのヘイトがあるように思った。実際、楽しているように見えても、魅力的な人は、努力を惜しんでいないように思う。それを努力と思っているかどうかは別として。

 

今こうして仕事で悩んでいることをきっかけに、「楽な方」だけを選んでいく私の性格を、少しだけでいいから改善したいと思う。ちょっとでいいから、努力したいと思う。少しずつ、それが自然なことになればもっといい。

苦しいと分かっていてもそちらを選べるような人に、私はなりたい。なあ。