走と歩

社会人をいちどリタイアしてまた始めたスロースターターの雑記

潔癖な考え

誰かに対して「心が狭いなあ」なんて思うことがある。

けど、他人の心の狭さにイラつく私もまた、広い心を持ててないっていうことなんだよな、とふと思った。

 

他人に「心が狭いな」って思う時って、大抵、その人が何か嫌な思いをした時の対処の仕方が不愉快だった時だったりする。例えばバイト中お客さんに嫌なこと言われたとか、そういう時に「なんだあのクソジジイ」って後から愚痴ってくる、そういうの。

「クソジジイ」って思うことそれ自体よりも、それをわざわざ他の人に「クソジジイ」っていう汚い言葉を使って伝えるのがなんとも不愉快に感じるわけ。

その対処法も、もしかしたら、その人が自分の心を守るために身に付けてきた護身術なのかもしれない。

周囲に害が及んでいないなら、多少私が不愉快に感じても、広い心で許していかないとなあ。

 

私のこういう態度を「偽善」と呼ぶ人もいて、それがまた悲しかったりするんだけど。その考えや行動が善か偽善かなんて主観なんだから、いいじゃないの別に、って思ったり。

 

考えがまとまらないけど、沢山の人とうまくやっていくためには、わたしの潔癖な考えを少し崩していくことも必要かもしれない。わたしの考える善から外れることをどこまで許容できるか。

 

あー難しい。